メンバー羽太のドキュメンタリー


by habutobuto

「十条への旅」

東日本大震災が起きてから、商いしているうどん屋の売上が震災前の半分になった。一月経っても、二月経っても戻る気配すらなく。色々我慢して貯めていた貯金を切り崩していくようになった。
テレビやネットニュースは福島原発の答えが出ない専門家の言い合いで持ちきりで、知り合いの中には東京圏を一時的に避難する人もちらほらいました。
いつもいく居酒屋さんはガラガラで、 不安感を煽る「緊急地震速報」の耳障りなメロディが少数の客の携帯から何度も鳴っていた。
正直、売上が上がらなければ店の維持は難しく、3人のスタッフには「やめてもいいよ」くらいな事は告げたのです。
その頃に長く働いてくれている徳ちゃんが「夜こんだけ入んないなら十条の千ベロ地域に呑みに行ってみません?」と言われたのです。店は夜、数人しかこなく、迷いましたが、思いきって夜、店を閉めて、ネガティブ全開で電車に乗りました。鰻や、居酒屋、おでん屋等、数回に渡り訪ました。
何処も安く、中には千円でベロベロになれる居酒屋も多々ありました。日本酒一合170円、ウーロンハイ180円、マグロぶつ190円、枝豆80円。
日本酒3合とウーロンハイとマグロと枝豆で960円。
そんな美味しい日本酒ではないけれどベロにはなれました。ビワミンというブドウ酢の原液にも出会いました。店によってはカブリハイと呼ばれている、柑橘系の優れものです。
おでん屋もおでんネタ工場がやってるお店でかなり路上に背競り出ている感じで笑えます。立呑ですが、美味しく安い。余った日本酒におでんの熱々の出し汁を入れてもらい、大満足でした。
まあ、ある意味現実逃避的なとこもあったのですが、行ってみると古いんだけど、そこに新しい発見があったり、飲み代の感覚の違いを感じたり、昔からあった食べ物が異様に美味しく感じたりしました。
ただひとつだけ、渋谷、原宿と一緒だったのは閑散としていた事です。人が多くいるだけで、その街のイメージは大きく変わると思うのですが、逆に閑散としている事で賑やかな風景を想像しながら呑むことができた気がするのです。旨いような不味いような気分がはっきりしない酒。あの時だから行けた街の記憶を大事にしなくてはならないと今は思うのです。
[PR]
# by habutobuto | 2015-01-24 10:00

「森の音」

d0248444_0167100.jpg
「車から出るな!」自分とレジストの後輩の沖村くんは100メートル先の鹿の親子に向いていた視線が、マグナムライフルを片手に四駆から物音を出さずそっと車から降りる佐々木さんに目がいく。大分日がくれかかり、西陽が自分等と佐々木さんを包み込む。
バンパーを銃台にしている佐々木さんは左手で額に必死に傘をつくっていた。
「ドーーン」という抜けるような音が幕別町の片隅の森にこだまする。牧草地で数十秒前まで草を食べていた鹿の親子に目をやると1頭倒れていた。小走りで近づくと、毛並みがとても綺麗な牝鹿がピクピクとまだ生きていた。
銃弾は頬上に命中していて顔半分は滅茶苦茶になっていた。
四駆に付いているミニクレーンで鹿を持ち上げると脳ミソ混じりのドロッとした濃度の濃い血が溜まっていた。
射撃した位置から見た鹿は小さいと思っていたのですが、実際に前脚を二本持ち引きずろうとしましたが、びくともしない。
100キロはあるらしく、自然で培われた毛並み、透き通るような黒い蹄、凛とした撃たれていない側の顔、こぼれそうな黒目、美しいと思ってしまいました。
実はこの猟で銃撃したのはこの時が初めてだったんです。
この時が2日目の17時過ぎで、初日は朝から日没まで道といえない道をひたすら走り続け、幕別町では唯一野性鹿に遭遇できたのは深い笹が目先より高く生い茂る森の中でした。
10月連休の時で街や国道はまだ寒いという感覚はあまりないのですが、森の中は10℃低いと言っても過言ではないくらい冷たい空気が充満していたのです。幕別町の森を車で走っている時に左斜面から親子鹿2頭がものすごいスピードでかけ降りてきました。
数秒しか見れず、ハンドルの左側に常にライフルを置いている佐々木さんも、撃つまでには至らなかったのです。正直、あの勢いで人にぶつかったりしたら、かなりの致命傷、もしくはもっと大変な事になるかと感じました。沖村くんと自分、運転する佐々木さんも紅葉寸前のカモフラージュされた森の中にいる鹿、熊、を賢明に目で探し続けるという事をほぼ無言で1日やっていました。
昼飯は佐々木さんの奥さんが弁当を作ってくれて、滝の近くで食べました。この弁当がまじ旨かったです。
初日の夕暮れには幕別町にあまりにも鹿がいなかった為に、となりの大樹町まで車を走らせてくれて、森から平地に出てきている鹿を何十頭も見せてくれました。大樹町の森の入口付近では若い鹿が車の前に立ち、不思議そうにこちらをじーと見ていました。
佐々木さん曰く「あーゆうのは長く生きれない。直ぐに撃たれるよ。」らしいです。立派な角を備えた雄にも遭遇しました。10月25日までは自分の町でしか猟は出来ない決まりがあり、その日以降は十勝全域が解禁されると言ってました。
要するに大樹町では撃つことは出来ないんです。
日没まで走って鹿を探し続け1日目が終わりました。
2日目も17時までは、永遠と幕別を走りまわり、横切る草の流れる模様が目を閉じても流れているようでした。
17時に銃撃後も、鹿を四駆の後ろに縛りつけ、更に鹿を追います。
もう日が限界かという時に300メートル先くらいに微かに動く鹿を見つけました。木の木陰で草を食べているようないないような微かな形。
佐々木さんは確信したようで
再度車外へ。バンパーにタオルをあてがっている、銃身がぶれない為だそうです。再度発砲。
また逆光気味だった為、額に手で傘を作り賢明に命中しているか確かめている。自分も目を凝らし見ていると白いお尻が森の中へピョンピョンと逃げてくのが見えた。外した。
距離計で佐々木さんが距離を見ている。330メートルあるという。
凄く悔しそうに表情を曇らせている。
弾頭は季節により全く異なった曲線を描くという。
湿度が高く距離があるだけ湿度の重みで弾頭は下がっていき、乾燥していれば逆に弾頭は上がっていくみたいだ。
200メートル300メートル400メートルと距離が遠くなればなるほど数センチずつ変化する。佐々木さんはそこまで計算して鹿や熊を撃っていることをおしえてくれました。頭を撃つ。胴体を撃つと肉の劣化が早くなることと、美味しい部分が食べれなくなったりしてしまうみたいです。
そして日が暮れたのです。
さっき捕った牝鹿を十勝港近くの山中にある解体工場へ運ぶ。
自分と同い年くらいの男二人が血だらけのエプロン姿で牝鹿を引き取る。
緊張と無言の繰返しで疲れがひどくカメラに手がまわらなかった。市内までの100キロ近い道のりで後悔ばかりが頭を占領していた。
初日に気兼ねなく家に沖村くんと自分を招待してくれ、今までの猟の話、幕別町の話、猟の記録写真、家族の話、今まで鹿は600頭、ヒグマ10頭を仕留めてきた。
佐々木さんは仕事を既に定年していて、昔はトヨタ自動車十勝のトップセールスマンだったらしく、鹿を日がくれるその時まで真剣に追う姿を見て、仕事も凄かった人なんだと感じた。佐々木さんと鹿を追っていくうちに踊っていた心がなくなり、沖村くんも自分も自然と無言になり、森の隅から隅まで鹿を探し目を凝らし続けていました。丸2日。
近いうちにまた佐々木さんに同行できたらと思います。
凄腕の佐々木さんを紹介して頂いた荒川農場の吉田さん感謝しております。
d0248444_0162422.jpg

[PR]
# by habutobuto | 2014-12-20 10:30

「遠吠え」

ここ10年くらい遠吠えを聞かなくなった。セコムやアルソックといった防犯システムの普及により番犬という概念が消えていった感じがしてならないのです。飼う犬の種類が小型化したことも原因なのだろと思うのですがなんだか寂しい感じもする。
子供の頃はあちらこちらに強烈な番犬がいた。チャウチャウだか柴が交配して生まれたようなライオンみたいな雑種の犬。
鎖に繋がれてるのを確認して、どこまで近づけるか大会などしてた記憶がある。室内で飼われている犬といえばヨークシャテリアやシーズーなどだった。ザーマス家庭では立派なシェパードが玄関先によく飼われていた。あそこにはあの犬がいてあそこにはあの犬がいるという事を街中で遊んでいるうちに把握していって、近くにいけば小屋を覗いてみたり、触ってみたりした。
沢山撫でて、帰り際におもむろに手の匂いを嗅ぐと超臭かったり、顔や手をペロペロされて臭かったりしたことも何度もあった。
時には自分のうんこを食べた後の場合もあるので注意しなければならない。
[PR]
# by habutobuto | 2014-12-10 10:00

「シゲルスダチと後藤」

2012年の中央競馬G1 NHKマイルカップ。東京競馬場の長い直線、斜行してくる馬を避けきれずシゲルスダチは鞍上の後藤浩輝ジョッキーと共に大転倒した。
TVは勝馬を追うのが当然だと思いますが、うつ伏せで大の字のまま意識がない後藤にカメラが向きます。
普通サラブレッドは騎手が落ちてしまうと走り出してしまう習性があるのですが、倒れた後藤のそばに何とか故障を免れた芦毛のシゲルスダチがいました。その姿は後藤を心配しているようでした。スダチは担架がきても後藤から離れようとせず、その姿に感動して意外な形で沢山のファンをつくり、年末のファン投票で100位以内に入るということまでおきました。
後藤はこの落馬事故で首の頚椎を損傷して長い期間、治療とリハビリを強いられることになりました。苦しいリハビリをクリアして、なんとか今月中の復帰が決まったようです。
11月9日に行われた奥多摩ステークスにシゲルスダチが出走しました。
ラジオの解説で復帰間近の後藤が出ていました。
シゲルスダチはのびのびと疾走、もうすぐゴールというとこでスダチ馬体がガクガクっと沈んだように見えました。
騎手を下ろしてからシゲルスダチは馬運車に乗せられていました。
なんらかの故障を発生しているものと思っていましたが、結果回復の見込みがない過度の脱臼により予後不良(安楽死)になってしまったのです。
後藤はシゲルスダチに対して哀悼のコメントを出していました。「改めて勝つ馬をつくるだけでなく愛される馬をつくる事が大事だと思いました。愛される馬をつくるほうが難しいことかもしれない。馬の内面、馬の心まで伝えられるよう努めていきたい」
後藤がリハビリを終え調教を再開した時も周囲の計らいでシゲルスダチに始めはまたがったみたいです。
そしてシゲルスダチの次走の騎乗も決定していたようで、ラジオ解説席から思い入れのある馬の故障、安楽死を目の当たりした後藤。
後藤との次走の騎乗寸前に散ってしまったシゲルスダチ。
互いの思いは実現しなかったのですが、復帰する後藤がシゲルスダチから教えてもらった「馬の内面、馬の心を伝える」という事を今後、幾多のサラブレッドを通して自分みたいな素人に沢山伝えてくれるのを期待せずにいられないのです。
[PR]
# by habutobuto | 2014-11-24 10:00

「しゃがむこと」

幼い頃から、家の前でしゃがみながら煙草をふかす親父の姿を毎日のように見ていた気がする。
学校に行くときには実家の1階にあった親父の電気屋はすでにやっていた。
電気屋と言っても街の電気さんではなく現場での設備工事がメインの電気屋なんで朝早いのです。正月の初日の仕事日には親会社であった三楽建設の社員が20人くらい法被を来てやってきて、1年の商売繁盛を願い、三三七拍子みたいなのをやっていた記憶が鮮明にあります。すごく恥ずかしい反面誇らしげに感じられる時もあったように思います。原宿は今は綺麗な街になってきていますが、30年前は自分の家の通りは商店街というより、のんべい横丁みたいな感じでとても綺麗な街とは言えなかった。表参道にも、竹下通りにもほとんど行かず、ひたすら公園や空き地で野球か、友達の家でファミコンという感じだったのです。
自分の家は2階建てで1階に祖父母の部屋があり、2階はアパートとしてなん部屋か貸していました。2階の2室の壁をぶち抜いて広くしたのが家でした。
トイレは他のアパートの住人と共同で、風呂はなく1階にある祖父母の風呂を借りていたのです。
2階に住んでいた大学生のお姉さんと仲良くなり、引っ越ししてしまった後も文通していた記憶があります。
昔ながらの物干し場が2階にあり、1階の祖父母の寝床の右には小さいなが縁側みたいなゾーンもあり、そこでじいちゃんが爪を切ったり、煙草をすったりしていた。日の当たらないジメジメした庭と言えない庭みたいのもありました。
狭すぎてキャッチボールも出来ないから、横丁に出て相手がいない時は壁とやっていました。
下町を歩くと昔住んでいたいた家に似た家があることがあって、よく見てしまいます。ぐるぐる忘れていた記憶が戻る時でもあります。
どっかに記しておかないと、あの大好きだった家の記憶がかき消されてしまいそうで書きました。
親父も現在は軟骨マクエンとかいう難病にかかり入院中。
習字が趣味で、こないだ初めて親父から手紙が来たんです。
折り込まれた半紙を開くと般若心経が記されていました。
意外すぎましたが、言いたい事は伝わってきました。
自分もこないだ、税金やら支払いやらで追い詰められた時に自然と店の前でしゃがんで煙草を吸っていました。まわりを見ているわけでなく、どちらかというとフワーとしてて、微かにアスファルトの細かい切れ目が目につくくらいでした。
煙草は健康には良くないとは思いますが、自分はまた親父がやさぐれた感じのしゃがみ煙草をしているとこを見れる日が来ることを期待しているのです。
[PR]
# by habutobuto | 2014-10-31 10:00